はじめに
今回は、あの有名な書籍である、「嫌われる勇気」のここだけは押さえておけ!という点をまとめていきたいと思います。
私自身も、初めてこの本を読んだときは、かなり衝撃を受けましたね、、
本を読みながら、何度も「確かに、、」、「そのとおりだなぁ、、」なんて思いました。
では、そんな「嫌われる勇気」からわたしが感じ取ることができたことをまとめていきます。
アドラー心理学とは
まず、「嫌われる勇気」が取り扱う内容は、アルフレッド・アドラーの「アドラー心理学」というものです。
この「アドラー心理学」は、思わず聞き入ってしまうような斬新な考え方であり、この本を読んだことのある人は結構考えさせられると思います。
端的に言うと、この「アドラー心理学」は「幸福になるための心理学」という解釈ができます。
アドラー心理学では、「すべての悩みは対人関係である」と考えられています。
逆に言うと、対人関係さえ克服できれば幸福になれる、という立場を取っていますね。
では、次の章からそれぞれの思想を見ていきましょう。
目的論
まず、アドラー心理学をみていく上で、欠かせない考え方として、「目的論」というものがあります。
「目的論」とは、
という考え方です。
これだけを聞いてもよくわからないと思うので、「目的論」とは対象的な考え方である「原因論」を確認してみると違いがよく分かると思います。
「原因論」は、
「現在の「わたし」の状態は、過去のある出来事が原因となって作られている」
という考え方です。
では、ここで具体例をひとつ挙げてみます。
レストランで、ウェイターの人がお客様にお茶をこぼしてしまいお客様に怒鳴られている、という場面を想像してください。
ここで、なぜ、客が怒鳴っているのかを考えてみましょう。
普通の人であれば、
「ウェイターの人にお茶をこぼされたから怒っているんでしょ」
などと考えると思います。
これは、お茶をこぼされたことが「原因」となって客は怒っている、と解釈することができますね。
しかし、アドラー心理学の「目的論」の立場で見た場合、
「客は、ミスをしたウェイターの人に屈辱を与えたいという目的があるため怒鳴っている」
という解釈になります。
つまり、客には「ウェイターに屈辱を与えたい」という明確な目的がある、ということになります。
これは、面白いですよね。
お茶をこぼしたことと、客が怒っていることは、全くの無関係であると言い放っているわけです。
つまり、「目的論」の立場で物事を見た場合、過去と現在の因果関係は全くない、ということになります。
ここだけでも、かなり常識を覆すような考え方だと感じると思います。
では、次の章から、幸福になるための3つのステップを見ていきましょう。
課題の分離
まず、対人関係を克服するための第一ステップとして、アドラーが考えていることは、「課題の分離」をすることです。
「課題の分離」とは、
人生のタスク
幸福になるためには、「人生のタスク」から逃げることはできません。
では、「人生のタスク」とは何なのでしょうか。
これは、人生において避けられない人間関係の総称を指します。
「人生のタスク」は主に、3つに分けることができます。
順番に「仕事のタスク」、「交友のタスク」、「愛のタスク」と分けられます。
それぞれのタスクによって、状況と、人間関係の距離と深さが変わってきます。
では、1つずつ具体例を見ていきましょう。
「仕事のタスク」とは、その名の通り、仕事上での人間関係のことを指します。
例えば、上司や部下、同僚などといった人間関係です。
これは、仕事上での関係であるために、退職したり、転職したりすることで簡単に断ち切ることができる、比較的距離の遠い人間関係です。
「交友のタスク」は、友達との人間関係のことを指します。
これは、「仕事のタスク」と違い、強制力がほとんどないために、距離を縮めていくことが難しくなります。
「愛のタスク」は、恋人や家族などの人間関係のことを指し、これが最も距離の調整が難しい関係です。
このように、人生において避けられない人間関係、「人生のタスク」を克服することが、幸福になるためには必要なのです。
言い訳を言って、「人生のタスク」から逃れようとすることを、アドラーは「人生の嘘」と言っています。
あなたの周りにもいるかもしれませんが、陰では先輩や上司に対しての不満を愚痴っていても、直接本人に言わないような人っていますよね。
これは、自分が傷つくことを恐れて、「仕事のタスク」から目を背けていることになります。
これでは、幸福にはなれませんよね。
つまり、「人生のタスク」に向かい合ってこそ、人間関係を良くして幸福になれるのです。
共同体感覚
アドラーは、最終的に「共同体感覚」を手に入れることで幸福になれると言っています。
では、「共同体感覚」とは何なのでしょうか。
共同体感覚とは、
- 自己受容
- 他者信頼
- 他者貢献
では、それぞれどういう意味なのかを説明します。
まず1つ目の「自己受容」とは、「ありのままのわたし」を受け入れることを意味します。
どんなことがあっても、自分は自分なんだから受け入れようね、っていうことですね。
2つ目の「他者信頼」とは、無条件に他者を信じましょう、という意味です。
これも、誤解してはいけないのですが、「信頼」というものは「見返りを求めない」という前提があります。
そのため、「この人を信じたら、何かいいことあるかも」などという理由で他者を信じるということではありません。
3つ目の「他者貢献」とは、自ら誰かに貢献しようと働きかけることを意味します。
これも、注意点として、「承認欲求」と「他者貢献」を明確に区別する必要があります。
承認欲求は常に他人の顔色をうかがいながら、他人の期待に応えるためだけにアクションを起こすことであって、他者貢献は誰かの期待に応えるためではなく、能動的に他人の役に立とうと働きかけることです。
つまり、他者貢献は「自分の価値を見出すために他人に貢献する」ということです。
※ここは混同しやすい点なので注意してくださいね。
承認欲求にとらわれた人には自由が無いのですから、、
以上の3つのことを意識することで「共同体感覚」を得ることができます。
おわりに
「嫌われる勇気」で書かれている、「アドラー心理学」の大事な点だけをまとめてみたのですが、いかがだったでしょうか。
本来は、もっと広い意味で話が展開されているのですが、すべてを記事にすることは大変なので、是非、本を読んでみてください!
最後に、自分自身がこの本を読んで意識するようにしたことを紹介して今回は終わりにします。
・「課題の分離」を意識する
・縦の関係から横の関係へ
課題の分離については今回の記事でも取り上げているのでわかりやすいと思います。
どんなに頑張っても他人を変えることはできないのですから、自分のできる範囲で行動を起こす、ということを意識するようにしました。
2つめの「縦の関係から横の関係」というのは今回の記事に取り上げていないのですが、簡単に言うと、上下関係ではなくみんな価値は同じなんだ、という横の関係に意識をシフトするようにしました。
縦の関係を築いてしまうと、どうしても「あいつの言うことは聞くけど、あいつの言うことは聞かない」といった、価値が高い・低いといった違いができてしまいます。
アドラーの言葉でもあるように、
「人はみな、同じではないが、対等である。」
という考え方を大事にしたいですね。
ということで、今回はここまでとします。
お疲れさまでした!